過干渉とは相手の否定に他ならない その2

昨日の続きです。

昨日のブログでは、親が子供に対して行う過干渉というのは、見方を変えればそのままの子供を否定するということと同じだということを書きました。

したがって、過干渉とは相手を受け入れることができない状態であるとも言えるのです。過干渉されると、子供はあるがままの自分を認めることが難しくなってしまうのです。

認めるどころか、何をやっても親のようにはうまくできない自分を否定せざるを得ないように追い込まれてしまうのです。

同じようにできないだけではなくて、親と同じように考えたり感じたりできない自分に駄目出ししてしまうことも起きてきます。

子供は、本来持っている自分の能力や可能性を疑うようになり、始める前からきっとうまく行かないだろうと否定的に捉えるようになってしまいます。

そうなると、生き方や考え方がいつも受動的になって、たくさんの未来に待っている大切な可能性の芽を自ら摘んでしまうのです。

親の過干渉にもがき苦しみ、その末に親と対決することができた人は、大人になるにしたがってその影響を弱めることができます。

けれども、過干渉してくる親の心の中にある否定的なエネルギーを感じて、可愛そうに思ってしまうといつまでも過干渉に「ノー」を突きつけることができなくなってしまいます。

その結果、社会生活に入っても同じような人間関係を繰り返してしまう傾向が強くなるのです。相手の反応がどうであれ、きっぱりと「ノー」と表現できる勇気を持つことです。

そして、それを実践することが大切ですね。いつやるか、今でしょう!