理由のないところに本質がある

私たちは、毎日沢山の感情を感じながら生きています。何か願っていることが起きたらすごく嬉しくなるでしょうし、大切なものを失ったら悲しくなります。

どんな感情でも、それが発生する正当な理由がありますね。お天気がいいというただそれだけでも、ウキウキした気持ちになることもあります。

もしも、何も理由がないのに、電車に乗っていたら急に涙が出てきて困ってしまったということがあったなら、それは過去に理由があるのです。

そのように、たとえ今目の前に理由らしきものが見当たらないとしても、どこかにかならず感情が出てくる理由はあるのです。

お世話になったり、助けてもらったりして、感謝の気持ちが湧いてくることもあるはずです。献身的な相手の態度に、愛が芽生えることもあるかもしれません。

こうした理由(原因)があって、起きてくる感情というのは、そこに思考が介入しているのです。なぜなら、理由は思考の産物だからです。

けれども、まったく思考が入り込まない状態においても、感情が発生することがあるのです。それは、もっと正確に言うと元々そうした感情が存在し続けていたということです。

心が無防備の状態になればなるほど、何の理由もなく愛や感謝の気持ちがやってくるのです。その経験はまさに驚きと言ってもいいかもしれません。

そうした感情は、理由があってやってくる感情とは違い、本来ずっと私たちの根っこにあり続けているものなのでしょう。

あるいは、愛や感謝、平安さなどは、感情というよりも本当の私たちの本質であると言えるのです。だからこそ、そこには何の理由も必要ないのですね。