事実と思考

一般的に私たちは、自分という存在とは別個に事実というものがあると考えています。自分が生まれる前から地球があって、死んだあとも世界は続くというわけです。

そうしたことは、事実であって自分がいてもいなくても変わることはない。宇宙の歴史から見れば、自分が生まれてから死ぬまでの時間などは、ほんの一瞬だというわけです。

科学的な解釈としては確かにその通りです。そうした解釈を否定しようとしているのではありません。それが、あくまでも解釈であるということに気づいているかどうかということを言っているのです。

自分の人生を物語として見る視点を養うためには、こうしたことにはっきり気づく必要があるのです。そのためには、以下のようなことを日々実践することが有効です。

例えば、「○○は○○だ」と言う代わりに、「○○は○○だ、という思いがある」と言うようにするのです。つまり、前者は事実についての言葉であり、後者は自分の思考についての表現であり、両者はまったく違うものです。

「事実はある」という代わりに、「事実はある、という思いがある」と言えばいいのです。突き詰めていけば、私たちは純粋な客観性というものを持つことはできないのです。

客観的に見るとしても、客観的に見ているという主観がそこにあるだけなのです。何もかもが主観的であり、あなた自身の思考によってしか物事をとらえることはできないのです。

「私は女性だ」ということは、客観的事実に違いないとあなたがいくら言い張ったとしても、それはあなたがそれを客観的事実だとする思いを持っているに過ぎません。

このことを本当に理解しなければ、「自分がここにいる」ということが事実である、という視点から抜け出すことは不可能です。これも言い直す必要があります。

「自分がここにいる、という思いがある」とするのです。あなたの口から出たあらゆる言葉は、事実ではなくてあなたの思考の中身でしかないということです。

それが私たちの思考にできる最上級の思いなのです。