精一杯自我を抱きしめる

私たち人間は、一人ひとり立派な自我(エゴ)を持っていますね。人間以外の動物の場合でも、特に高等動物であれば、ものすごく未熟な自我はあるかもしれません。

でも話しを簡単にすれば、人類だけが、自我(エゴ)という心の仕組みを作ることになったのですが、その自我のおかげで私たちは人生という物語を深刻に受け止めてしまうのです。

なぜなら、自我の目的とは心理的に自分を何とかして守ろうとすることだからです。自分のことを、世界から独立・分離した個人という存在と思い込むのですから、その危険度は半端ではありません。

だからこそ、自我のほとんどの働きというのは、自分を守るということに注がれるのです。そのためには、恐怖や不安といった都合の悪い感情を安心に変えようとするのです。

けれども、それを恒久的に実現することは不可能であるために、自我は常に私たちを不安や不満に苛まれる状態へと陥れることになってしまうのです。

自我それ自体が自分なのだと思い込んでいる人もいるかもしれませんが、そうではありません。自我の力の及ばない自分の部分もあるからです。

その部分は、言ってみれば赤ちゃんの頃の純粋で無防備な心の部分だと思えばいいのです。どんな人であれ、その部分なしに生まれてくることはありません。

けれども、自我の発達とともに、場合によってはその純粋な部分をほとんど使わずに成長してしまうこともあるのです。そうなると、人生を楽しもうとする意欲すらなくなってしまうかもしれません。

人生を楽しむ代わりに、安心しようとするばかりになってしまうのです。自我そのものが悪いということはありません。自我がなければ、私たちは動物と変わらない一生を送ることになるのですから。

問題は、自分の内面のほとんどを自我に乗っ取られてしまうことなのです。無邪気さとのバランスが崩れてしまうからこそ、楽しむ代わりに深刻に物事を見るようになるのです。

自我を敵対視しないことです。もしも敵対視したなら、それこそが自我に乗っ取られた状態なのですから。自我をいつも見てあげて、全面的に受け止めてあげることです。

そうすれば、自我は自然と力を弱めていくはずです。なくなることはありませんので、安心して精一杯自我を抱きしめてあげて下さいね。