「和を以て貴しとなす」の本当の意味

「和を以て貴しとなす」という昔からの言葉がありますね。ネットで調べてみると、以下のようなことが書いてありました。

『人々がお互いに仲良く、調和していくことが最も大事なことであるという教え。
聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる言葉。
「和」の精神とは、体裁だけ取り繕ったものではなく、自分にも人にも正直に、不満があればお互いにそれをぶつけ合い、理解し合うということが本質ではなかろうか。』

上の文章の最後の一文がとても大切なように感じます。つまり、「和」というのは単に仲良くあればいいというような安直な表面上のことを指しているのではないということですね。

自分の気持ちや言いたいことを抑えて、相手に迎合したり、相手の気持ちを尊重するあまりに本音をごまかしてみたり、そうしたことの上の平和は本当の「和」ではないということです。

それは、見せかけの「和」であり、目的は自己防衛に他なりません。自分の正しさを守ろうとしたり、相手を打ち負かすために自己表現するのではなく、あくまでも理解し合うために自己主張するということです。

争い事が嫌いというだけで、自己表現や感情表現を抑えてしまうと、いつまでたっても誰とも心からのコミュニケーションができないままになってしまうはずです。

敏感気質で産まれると、幼いころから傷つくのが怖くて、気が付くと人との関係を丸く収めようとする癖がついてしまうことが多いのです。

その結果、あまりにも自分に不正直に生きるようになってしまうために、反動として極端な感情表現をすることが起きてみたり、鬱症状に苦しむことになったりするのです。

「和」の本当の意味を再認識してみて、もしも自分は真正面から相手と向き合うことが苦手だという感覚があるのでしたら、自分がやっている自己防衛がどういうものが、点検してみることですね。

人と人は真に対等なものです。誰かに媚びへつらう必要もなければ、見下す必要もありません。ありのままの自分を丸ごとオープンにすることで、相手のこともオープンに受け入れることができるようになるのです。

そうしたうえで、初めて「和」を体験することができるということですね。