神経質な人たちとガサツな人たち

あるバラエティー番組で、極度に神経質な人たちと、それとは対照的にガサツな人たちとをそれぞれチームに分けて、互いの言い分をぶつけ合うという内容のものをやっていました。

公平に見ていて、どちらの言い分にも「確かにそうだ」と頷けるところがあって、とても興味深かったのです。私自身は、どちらかというと神経質チームの方に入るのですが、それでも勿論ガサツな一面も持ち合わせています。

誰だって、そんなに簡単にどちらかに分類されるわけではないでしょうけれど、それでもどちらかが優勢なはずです。自分の立場を分かって両者の主張を聞いているのは、本当に面白いものですね。

神経質チームの言い分のほとんどは、ガサツチームへの否定的な態度として現れるのですが、ガサツチームは何を言われてもそれほど堪えた様子もなく、面白がっているだけで、ちょっと大人の風情さえ感じさせます。

したがって、文句が多いのは明らかに神経質チームであり、彼らのほうがより子供っぽいという印象を受けますね。ガサツチームは、それほど強い主張はしないものの、神経質チームの生き方では不自由だろうという真っ当な意見を持っているのです。

どちらの生き方がより楽かといえば、間違いなくガサツチームに軍配が上がるのでしょうけれど、それだけで話しを終えたくはないのです。

神経質チームは、ガサツチームに比べて、基本的に情報量が多いのです。つまり、知覚が敏感であるためにより強い反応を起こしてしまうため、生きるのが厄介なのです。

私が思うに、神経質チームの人たちが心の癒しを進めていったときには、きっとガサツチームの人たちのような自由さ、あるいは無防備さを体得することは可能なはずです。

そして、そこに留まらずに、もっともっと無防備な人生を生きるようになれるはずなのです。その時には、かつての敏感さゆえの苦しみから解放されるだけでなく、繊細さを持ち合わせた愛で人のために生きる人生へと向かうこともできるのではないかと思うのです。