思考を観る立場になる

人生をスムーズにうまく生きていける人もいれば、どうやってもどう努力してもどうしてもうまくいかずに、いつも苦労してしまう人もいますね。

苦しんでいる人からすれば、楽ちんそうに人生をたのしむことのできる人が羨ましいと思うのは当然です。そして、そんな羨ましい人と自分を比べて、自分はダメなのだと思い込むのです。

うまく行っているように見える人の典型は、人生に疑問を持たないことです。物事を深く考えることをせずに、辛くても仕方ないとして切り抜けようとするのです。

それは、確かに物事が大事にならずに済ます傾向にあるため、楽な生き方ではあるかもしれませんが、実は人生の深みを知ることもできないのです。

何かに疑問を持つこと、そして探求しようとすることがあって、初めて人生を正面からとらえる準備ができるのです。悩むこと、苦しむことを通して私たちは真理に近づくことができるのです。

立ち止まり、自分とは何なのか?あるいは、自分はいつもこうしてしまうが、その理由は何だろう?などを真剣に見つめる姿勢がとても大切なのです。

そうして向き合うことを続けていくうちに、それをやっている自分とは何だろうという視点が浮かんでくるのです。その視点に立った時に、思考の限界を知ることになります。

思考に飲み込まれている間は、思考の限界に気づくことができません。それは、自分という存在が思考により出来上がっているということに気づかないからです。

けれども、ひとたび自分というのは思考の産物だと分かれば、思考の中には真実はないと分かるのです。そうすると、一生懸命考えていたことが却って、考えないことに目覚めさせることになるのです。

思考から脱出することは、思考を止めなくてもできるということにも気づけます。思考は決して敵ではありません。思考に飲み込まれてしまうことだけが、真実を観る目を曇らせることになるだけです。

あなたという人物像は思考の塊で出来ています。その思考を観る立場になることです。そうすれば、あなたは全体性という本質であるということに気づくはずです。

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