言葉から離れてみる

誰かと一緒にいて、まったく会話をしないというのは、少し居心地の悪い感じがしますね。勿論、互いに何かをやっている場合はいいのですが、何もせずにかつ会話がないというのは、どうにも居づらいのです。

会話に使う言葉を発明したのは、人間の素晴らしいところの一つに違いありません。言葉がなければ、私たちの99%のコミュニケーションができなくなってしまうのですから。

そういう意味からして、言葉はとても大事なものです。言葉とは思考であり、思考とは言葉なのです。勿論言葉を伴わない思考というものも存在することはします。

しかし、そういう思考というのは、本当に原始的で単純な思考に限られてしまうのです。私たち人間の進化とは、言葉による思考を積み重ねた結果、非常に複雑で論理的な思考を駆使することができるようになったことなのです。

だから言葉とは、人間の代名詞と思ってもいいくらいなのです。言葉とは、それが思考であるためにこの世界を解説するためには適したものなのです。

けれども、思考を越えた真実については、どれほど言葉を上手に繋ぎあわせたところで、決してそれを表現することはできないのです。

例えば、かつてブッダは神については一言も触れなかったし、神についての質問はするなと明言していたらしいのです。神についての何か少しでも言葉にすれば、それは間違ったことを言うことになってしまうからです。

このブログにしても、言葉を連ねて何かを伝えようとしているわけですが、本質的なことは残念ながら表現することはできないのです。

それでも私たちは言葉を使うしかないわけですから、言葉の奥にある、いわゆる行間を感じるということでしか、真理は伝わらないのですね。

もしもあなたが、ずっと誰かと会話をし続けていたり、独りになったときにも、心の中で言葉が止まらないのでしたら、それは大問題です。思考に乗っ取られていると思った方がいいのです。

可能な限り不必要な会話を控えるようにしたり、心の中から聞こえてくる言葉に巻き込まれないようにすることが得策です。

そうして、言葉のない時間というものを作ってみることです。言葉があればそこには必ずエゴがあるのですから。どれほど素晴らしい言葉でも、言葉によって満たされることはないと知ることです。

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