「無為自然」に生きる

この宇宙、この世界というのは自然そのものです。植物も、あらゆる動物も自然に生きています。というよりも、自然にしか生きることができません。

そんな中で、我々人間だけが自然でいるか、不自然でいるかを選択することができるのです。これは、とんでもない奇跡かもしれません。

動物はトイレを我慢することは普通しないしできませんが、人間はトイレを我慢することは日常的にしていますね。お腹がいっぱいなのに、まだ意地汚く食べてみたり、食欲があるのに断食してみたり。

人間にとって、不自然に生きるということは物凄く魅力的なことなのですね。不自然というのは、人為的と言い換えてもいいですが、それはマインドの働きによるものです。

マインドは、不自然な生き方を選択すると、自分がいるという証明になると思っているのかもしれません。その不自然を落とすことこそが、老子が言った「無為自然」ということ。

独自の信念、独自の発想、独自の正しさ、こういったものを頼りにして、闘えば闘うほどにマインド(エゴ)は力をつけていくのです。

そうやって様々なものを手に入れた大人のマインドの中は、もうゴミだらけになってしまって、あるがままを見ることなど不可能な状態になっています。

そのゴミをゴミだと見抜くことができれば、不自然さが次第に緩んでくるはず。なぜなら、ゴミを取っておこうと思う人は誰もいないからです。

手放すなどと思う前に、ゴミ箱に捨ててしまうでしょう。その時、マインドの中は空っぽの状態へと戻って、無為自然に生きることになるのでしょうね。

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