生はここにある

持つに値する唯一の欲望は
なんの欲望も持たないということだ
あらゆる欲望は悲劇をつくり出すものだから
欲望というのは
あなたが明日へ動いてしまったことを意味する
生はここにある
欲望はいつでもどこかほかにある
生きるというのはこの瞬間の中にある
欲望はつねにどこか未来にある

by osho

生はここにあると言われても、私たちは今ここにはじっとしていられないのです。そんなの退屈だし、何も面白味がないと感じてしまうからです。

実際、希望があるからこそマインドは生き続けていられるのです。希望はもちろん欲望と同じもの。ただちょっと肯定的なニュアンスを持っているだけ。

確かに欲望は悲劇を作り出すのでしょうけれど、それでも悲劇が終わったら喜劇がやってきて、たまには幸福が顔を出すこともあります。

そうやって、いつも悲喜こもごもで人生は推移していくのです。だから欲望を持ってもいいのですが、ただいつかは終わるときがくるのです。

何万年かかろうが、いずれは誰もがマインドの真実に気づいて、そこから旅立っていくのです。それがこの瞬間の中だと言っているのですね。

過去にも未来にも出向くことなく、なるべく静かに今ここを満喫していることができるなら、時間と時間の間に横たわる永遠の深みの中へと入ることができる気がします。

このようなことを書いていると、自分のマインド(エゴ)が困っているのを感じますね。きっといやなのでしょう。

まだまだこの人生で何か楽しいことを探したいと思っているのが分かります。本当は絶望も持っているのに…。

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