惨めさの見張り番

禅は言う、何にも自己同一化しないように、と。そうすれば、おのずから超越が起こる。あなたは惨めさがやって来るのを見るが、見守る者のままでいる。惨めさが現れ、暗い煙のようにあなたを飲み込み、あなたを包み込むのを見るが、あなたは見張りのままだ。

by osho

自己同一化とは一体何だろう?それは、自分とは○○だと思い込むことです。自分は人間だ、自分は日本人だ、自分は男だ、自分は何歳だ等々。

もしも自己同一化が外れて、自分は何者でもないというのがやってきたら、エゴは恐怖の中へと突き落とされてしまうはずです。

それがあまりにも怖いので、自分を何かと同化し続けようとするのです。そして、その努力すら忘れてしまうほど、マインドの深くまでそれを浸透させるのです。

これでもう安心、自分は明確に存在することになるからです。とここまではよかったのですが、今度は次の問題がやってくるのです。

それは、同一化の結果として個体としての自分が出来上がってしまったがために、自分のことは自分で身を守らねばが発生してしまったのです。

そしてそれが何であれ満たされないと感じたときには、惨めさが降りて来るのです。何者かである自分はこうあるはずという期待が裏切られたとき、惨めさに包まれることになるのです。

それがあまりにも辛いので、今度はその惨めさを隠すためにそれを見ないようにしたり、怒りで蓋をしようとするのです。

そうやって自分は決して惨めなんかじゃないと証明しようとすることこそが、人生というわけです。

惨めの見張り番を続けることで、こうした状況から抜け出すことができるようになるということですね。

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