意識的であり続けると…

ようやくお正月が終わろうとしています。イベント事が苦手な私としては、なるべく早めに変わったことのない普段の生活に戻りたいのです。

で、遅ればせながらですが、今年の抱負としてはこれまでよりももっと強烈に「意識的である」ことに焦点を絞って生活していきたいと思っています。

意識的であり続けることが、このブログでお伝えしたいことの全てと言っても過言ではないくらい、最も重要なことなのです。

それがなぜなのかをもう一度復習しておきたいと思います。意識的であるということの意味は、明確な自覚がある状態のことです。

意識的でないとき、私たちは無意識状態になっているのです。寝ている間にみる夢は無意識状態だというのは理解できると思います。

夢の中の自分は、いつだって無自覚だからです。ところが、無自覚なのは夢の中だけではなくて、目覚めている普段の生活でも概ねそうなのです。

目の前の人と話しをしているとき、そのことを自覚しているかというと非常にあやふやなのです。食事しているとき、食事していることに意識を向け続けているか、よくよく思い返してみれば分かると思います。

私たちはすぐに無意識状態へと移ろってしまうのです。ではなぜ無意識が問題なのかというと、その瞬間一番力を持っているマインドの部分に乗っ取られてしまうからです。

たとえばあなたが激怒するとしたら、それは完全に無意識のうちに起きるのです。意識的に激怒することは不可能だからです。

つまり激怒するというのは、怒りを持っているマインドの部分に乗っ取られてしまっている状態なのです。

その時充分に意識的であったなら、怒りはあっても激怒はできないのです。意識的であるなら、どんなマインドの部分にも乗っ取られずに済むということ。

そして意識的であることだけが、本当の意味で私たちを変えてくれるのです。努力の力で変わるのはほんの表層の部分だけだと知ることです。

意識(見ること)は直接的にはどんな手立てもしてくれませんが、いずれは変えようとする意志の力など全く届かない未知の力によって変わっていくことができるのです。

また意識的であるとき、思考は自然と不活性の状態へと推移していきます。思考を止めようとするのではなく、意識的でありさえすればいずれは思考は緩んでくるのです。

そして最終的には、意識的であることがずっと続くようになったとき、自我は根負けしてあなたの本性にその場を譲ることになるのですね。

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