なぜ?からの解放

自我というのは謎解きが大好きなのです。科学者は宇宙の謎を解明しようとして、絶えず研究と発見を繰り返してきています。

無邪気な子供は大抵、「どうして?」を連発して大人を困らせるのです。なぜ?をそのままにしておきたくないという、強い衝動を持っているのです。

分からないことが分かると、なぜかスッキリした気持ちになれるのを知らない人はいないでしょう。

自我というよりも思考の本性だと言った方が正確かもしれませんね。思考は物事をあるがままにしておくのが苦手で、評価したり判断したり解明したがるのです。

それは欲望の一つなのです。それも強烈な欲望。その欲望は思考自体が思考を活躍させたいというところが来るのです。

だから一つの思考は別の思考を呼び込むプロです。そうやって次から次へと思考を連鎖させて、思考が途絶えないようにするのです。

そういった思考の習性から解放されるためには、思考を見つめることが重要となります。見るというのは意識するということ。

意識の覚醒を保っていられたら、思考はゆっくりと沈静化していってくれます。そうなって初めて、謎解きからも解放されるでしょう。

なぜ?をそのままにしておくのではなく、なぜ?が思考もろとも消えてしまうのです。そして内側は静かな至福に包まれるのですね。