思考停止が瞑想ではない

瞑想とは、ただ思考を止めることだと思っている人がいますが、実はそうではありません。

思考が停止していても無意識の状態では瞑想とは言えません。瞑想とは、意識が覚醒している状態のことだからです。

自分の本質が意識であること、ただ観るものであるということを思い出せたら、その瞬間あらゆる緊張が取れていくはず。

自分はこの身体ではないということの解放感、自分は心(自我)でもないということの無類の平穏。

私たちが苦しむのを誰かのせいにしたり、社会のせいにするのはお門違いです。苦悩の唯一の原因は身体やマインドとの自己同化にあるからです。

じゃあ何で癒しを目的としたセラピーなんかやってんの?という声が聞こえてきそうです。確かに…。

それは例えて言えば、急がば回れなのです。自分に意識を向け続けて下さいと言ったところで、それを実践し続けられる人がどれほどいるかってことです。

あまりにも長い間、マインドがこんがらがってしまっている時、強く自我に巻き込まれてしまっている状態では、その立ち位置から始める必要があるのです。

意識的でい続けるためには、自我のパワーをある程度は鎮めておく必要があるということです。でなければ、瞑想もやる気が起きないはずなのです。

意識的であろうとすることと癒しの両方に効果的なのは、自分の内側にはどんな自分がいるのか、都合が良くても悪くてもそれを見てあげる習慣をつけること。

マインドのあらゆる部分を見てあげることができたなら、自動的に癒しは進むし気がつけば意識的になっているでしょうね。