自我の不満は必須のもの

私たちの誰もが共通に持っている欲求があるのですが、それは満たされたいというものです。

どうしたら満たされるのかは人によってそれぞれですが、とにかくどんなことをしても満たされたいと願っています。

欲しいものが手に入ったら満たされるだろうし、目標を達成したら満たされます。あるいは、自己価値が高くなったら満たされるのです。

たとえば誰かの役に立つことができたら満たされます。社会貢献をして、感謝されるなら大満足することができるでしょう。

ところが、どんな満足であれそれは一過性のものです。満足感に浸れるのも数日の間だけ。あっという間にまた元の状態に戻ってしまいます。

そのためすぐにでもまた別の何かによって満たされようとし出すのです。人生というのはその連続かもしれません。

一方でたとえ一時的であれ満たされるのなら羨ましいと思っている人もいるはずです。それはたとえば自分は何の役にも立たないデクの棒だと感じてる人。

長い間引きこもりを続けていたり、病気がちで人並みに働くこともできずにいる人。けれども気がついて欲しいことがあるのです。

自我というのは決して永遠に満たされることがないという宿命を持っています。だからその意味では人はみな平等な自我として生きているのです。

この世界に完全に満たされた人は一人もいないと断言できます。もしもそんな人がいたら、その人はもう自我が消えてしまった人。

一人の人間として生きている限り、みんな同じ不満状態を抱えて生きているということを忘れないことです。不満なのは自分だけではないと気づくことです。