全体性という感覚

osho が次のように言っているのを知って、少し驚きました。

『私はあなた方に、分割されていない―<全体(whole)>の感覚を与えようとしているのだ。科学は片割れだ。哲学も片割れだ。どうしたらいい? どうやってあなたにその<全体>の感覚を与えよう?』

ここで言っている<全体>というのは、このブログで時々出てくる全体性のことだと思って間違いありません。

それってどういう感覚ですか?とクライアントさんから聞かれることもあるのですが、言葉で説明するのは難しいのです。

さらに、それを感じられるようになるにはどうしたらいいですか?と聞かれたところで、osho と同じで分からないというのが正直なところです。

私自身の場合についても、どこかの時点でそれを知るようになったのか、それとも初めからそれを知っていたのか、どちらなのか確信が持てないのです。

だから全体性を体感するようになる方法なんてものが、本当にあるのかどうかも分からないのです。

この感覚を味わっているときには、じっとしてどこを見るでもなく静かにしていることが多いのは事実です。

そして、究極的には自分しかいないという感覚と近いかもしれません。この場合の自分というのは個人としての自分ではないのですが。

もしくは、自分はどこにもいないという感覚とも近いですね。そうしたものの総称が全体性なのかなと思っています。