「イエス」だけでは自我は育たない

私たちは誰もが自我として生きています。これが大前提でのお話しですが、私たちの応答を単純に表現すれば、「イエス」か「ノー」になるのです。

なんとなくですが、この世界では「ノー」ばっかり言う人よりは、「イエス」と答えてくれる人の方が好感が持てますね。

なぜなら、「ノー」を返されるよりも「イエス」と言われた方が嬉しいからです。「イエス」を貰えば、自分の期待に応えてもらえたと感じるからです。

逆もまた然り。ところが、自我が生まれて成長していく大切な時期においては、家庭内でしっかりと「ノー」を表現することが絶対的に必要なのです。

自我というのは、「私」という存在を明確にしなければならないのですが、それは他人と自分の違いを際立たせるということ。

つまりは、「イエス」だけでは周囲に埋もれてしまうので、繰り返し「ノー」を表現することで「私」の存在が明確になるのです。

自我の発育期に思う存分「ノー」を言えなかったとしたら、自我は未発達のまま大人になってしまう可能性があります。

「ノー」が言えない理由は、その家庭の事情により様々あるのですが、その中でも分かりづらいケースとして、親があまり「ノー」を言わないということもあります。

子供は親を見て学ぶので、「ノー」を含めたあらゆる自己表現が親の側で足りていないと、子供も同じような生き方を選んでしまうことになるのです。

そうした場合には、子供の側では親に対する不満は自覚できないかもしれません。そうなると、癒しの糸口が見つけにくくなってしまうはずです。

いずれにしても、幼い頃に家庭内で「ノー」を繰り返し使ってこなかったという自覚があるなら、そこを癒していく必要があるということですね。