不可能性に救われる

数年前くらいから、日本の皇位継承の問題が取り沙汰されるようになりましたね。候補となる男性が少なくなっている現実があるからです。

あまり詳しくないですが、次の天皇を決める時にこれまでずっと男系男子、特に男系(父系)が絶対条件でした。

というのも、そのルールを守っていれば、父方の先祖を辿れば初代天皇である神武天皇にまで直接繋がるからです。

2000年以上の長きにわたるこのような事例は、世界中探しても見当たらないでしょうね。ではこのようなルール決めのメリットは何でしょうか?

それはお隣の大国の歴史を見れば明らかなのですが、戦いに勝って国の支配者になった者が、国の王者になれるので、その度に国名が変わるのです。

これまでの国が亡くなって、新しい国が出来上がるわけです。ところが日本の場合は、どれほどの力を持ったとしても、国を転覆する事は出来ないのです。

なぜなら時の最高権力者といえども、天皇になることが不可能だからです。そこだけは父方の血を引いている絶対的な条件が必要なのです。

この縛りを破って、我こそが天皇だと声高に叫んだところで、全国民から総スカンを食らうことになるでしょう。

つまりは、男系男子のルールが日本国を護る役目を果たしていたという事です。で、私がお伝えしたいのは、不可能性のメリットです。

とかく社会では、努力すればどんなことでも叶うという事を肯定的な事として言ったりしますが、それが自我を活性化するのです。

どんなに可能性が小さくてもゼロでなければ、チャレンジは続けることができるからです。一方で不可能と分かっていれば、そこにエネルギーを費やす必要がなくなるのです。

その時、マインドは初めて鎮まりかえることになるのです。戦うことから解放されるのです。自我は穏やかになって、代わりに至福感がやって来てくれるのですね。