改善より見守ること

幼い頃の生育環境がその後のその人の人格や人生に多大な影響を与えることになる、という事は現代においては誰もが知っている周知の事実ですね。

ところが私が思うに、そのニュアンスは間違って理解されているように見受けられます。本当のところ、環境に影響されるというよりは、それで出来ているのです。

もう少し丁寧に説明すると、我々に元々与えられているのは遺伝子とそれによって作られた肉体だけなのです。その人の内面を形成しているマインドは、当初存在してなかったのです。

影響されるという意味は、元々何かがあってそれが環境によって変化させられるということなのです。

サイコロのような形をしたスイカを見たことがあると思いますが、あれはそうした形の箱の中でスイカを育てる事で、その影響を受けてその形になったわけです。

けれどもその箱がなくてもスイカは自らの形に成長することができますね。一方でマインドは、マインドを持った家族に囲まれることでしか発生しません。

何もないところにマインドが生み出されるのですから、それは影響されるというレベルではなく、親などの家族のマインドが材料となって作られるのです。

意味が伝わったでしょうか?影響を受けるのと、それで出来ているのとの違いは絶大であり、それをどう考えればいいでしょうか?

もしも自分のマインドが気に入らないとしても、それを望むようなものに変えることは出来ないと知ることです。

鉄の板をどれほど磨いたところで金の延べ棒に変えることが出来ないのと同じことです。だから改善しようとするのをやめること。

そして唯一のできる事とは、マインドの働きを小さくするのです。あなたのマインドが様々な反応をしても、それを見ている側になる練習をすること。

そうすればどんなマインドであれ、その影響を見守りながら生きていくことが可能となり、それはより自分の本質に近づくことにもなるのですね。