信頼により全体が味方だと気づく

宗教といえば信者さんがいるわけですが、信者というのは教祖や教壇のことを信じている人のことを言うわけですね。

信じなければ信者にはなれません。けれども、そこに信頼があるかどうかは全く別の話になるのです。

信じることと信頼することとは、ある意味次元が異なるくらいに違うものだと言ってもいいくらいなのです。

信じることはたやすいことです。なぜなら信じることで、もう思考停止状態になってその先のどんな検証も何もせずに済むからです。

自分に都合のいいことを言ったりやったりしてくれる人のことを私たちは信じてしまうのです。

だからこそ、その人が自分にとって都合の悪いことを言ったりしたりした場合には、あっという間にひっくり返って信じないと言う状態になるのです。

信じることと信じないことは、このようにしてコインの表と裏のように一対になっているのです。

それに対して、信頼はまるで別次元のようなものです。信頼には理由(思考)が必要ないのです。

都合の良し悪しも関係ないし、ただただ信頼するのです。だから自我からすると信頼は不思議なものに映るかもしれません。

どんな理由もないと言う点では、愛と同じようなものです。もしもこの生を信頼することができたら、一瞬にして全体が味方をしてくれていることに気づくようになるでしょうね。