自我を超越する

昨日のブログでは、人生のあらゆる問題の根っことなる二元対立からどうすれば解放されるかということを書きました。

二元対立がなぜ問題を引き起こすことになるかというと、自我はそのどちらかを選択しようとするからなのです。

憎しみと愛なら愛を選ぼうとするし、怒りと慈悲であれば慈悲の方を選ぼうとするわけです。

ところが現実はどうかというと、憎しみの方を選んでしまうし、怒りの方を選んでしまうことが往々にして起きるのです。

これが問題となるわけです。選ぼうとした方を選ぶことができなかったという否定が入り込むからです。

私たちは思考が作り出した二元性の世界で暮らしているので、あらゆるところに二元対立が起きているのです。

その両方を受容すること。もしもあなたの身近に味方と敵がいるのであれば、味方を選ぶ代わりに、双方を受容するということ。

これが超越を起こすことになるのです。戦えば、必ず勝つことを選んでいるわけで、それでも負けることも起きるのです。

ここから解放される唯一の方法は、どちらも受容するということ。勝敗から解放されるためには、受容しかないということです。

自我と戦う代わりに、自我を受容することができれば、自我を超越することになり、生の問題は消えていくことになるのです。

自我を受容することでそれを超越する方法は、それを観照するということ。見守ることに徹するということ。これ以外にありませんね。