所有性=執着

昨日のブログで、所有という属性について書いたのですが、この所有という概念、結構根が深くて厄介なのです。

私たちは不安のあまりに安心したくて、所有という概念を使うのです。何かを自分の物だとして、つまり所有するということで安心しようとするのです。

恋人同士が、互いに相手のことを他の誰かに取られたくないという気持ちから、相手を自分のものにしたいと願うのはよくあることですね。

お前は俺のものだ!というわけです。けれども、所有できるのはモノでしかありません。人間はモノではないので所有する対象にはなれないのです。

だから、お前は俺のものだ!というのは、相手を人間ではなくてモノにまで落とし込むことと同じだと理解することです。

人間は自由であるので、所有する対象にはなり得ないのですが、誰かに奪われるという不安から相手の自由を奪ってまで所有物にしておきたいのです。

親が我が子を所有物のように扱う事例はよくありますね。幼子は保護されなければならないのですが、それでも親の所有物ではありません。

子供が自分の手から離れて、好きな人を見つけて幸せになっていく姿を見るのは、子供を所有物だと信じてきた親には苦痛なのです。

子供への執着心が子供の自由を奪おうと画策するわけです。そんな毒牙に引っかからないように注意して、自分の自由を第一に考えられる大人へと育って欲しいですね。