この二元性の世界では、快適さと不快さは一対としてやってきます。快適さを求めてしまう私たちとしては、不快さもくっついてくると言うことを受け入れたくないのです。
いつも外側に求めるのは、快適な居住空間、快適な人間関係、快適な仕事等々。それらに囲まれているときは幸せだと思うのです。
けれども、表しかないコインが存在できないのと同様に、快適さだけの人生もあり得ないのです。
表裏、あるいは快不快というペアでのみ存在するのが二元性の世界であることを知ることです。この世界はそのようにできているのですから。
ただしそこから逃れる方法もあることはあるのです。それは、外側の世界から内側の世界へと向きを変えること。
具体的に言えば、自分の単純な存在を楽しむ方法を体得することです。存在そのものにはどんな理由もなく、どんな価値判断も当てはまりません。
存在はペアとしての相棒を持っていません。静寂もそうですね。そう言うものは、非二元性だからです。
もしもあなたが静寂を楽しむことができるなら、自分の存在をも楽しむことができるはずなのです。
結果として二元性の中でしか生きられない自我からも離れていくことになるのでしょうね。