私たちは日々、何かを意図し、意志をもって決意、決定するといったことを繰り返しています。これらを「意識」の範疇だと思っている人が多いかもしれません。
けれども実際には、それらは思考によるものです。思考なしに意図することはできないし、思考なしに決意などできるものではありません。
逆に言えば、意識というのは自我の心理的な働きには直接関わってはいないのです。意識とはただ気づいていることを言うのですから。
意識と思考では天と地ほどの決定的な違いがあると言うことです。自我は意識も自分のものだと思い込んでいるのです。
自我は色々なことを勘違いしています。自我の成長を助けているものの一つに経験というのがあるのです。
自我は毎日の経験を自分の糧として自分を成長させているのですが、実は経験あるいは体験というのはただ起きるものなのです。
それを、自我が勝手に自分がそれを体験したというふうに横取りするのです。あらゆる体験を自分自身のものとして所有するのです。
そうやって自分を肥大化させていくわけです。ただし本当のことを言えば、自我は思考の塊であって、思考がアクセスする記憶(体験)ではないのです。
この程度のことは、あなたが記憶を使わない時間をたとえ1分でも持てば、すぐにでも分かることです。
その時に自分は何でもないものだということを、すぐに気づくことができます。思考が止まれば、そこには何も残らないのですから。
そこにはただ気づきとしての意識だけがあるのですね。