昨年の9月ごろから自動演奏、自動鼻歌を止めようとして、3ヶ月くらいはほとんど音楽も聴かないようにしていたのです。
その後、強引に止めようとする作業は戦っているということに気づいて、一旦は止めようとする作業を辞めたのです。
もちろん、その大元にあるのは自動思考を停止して、シーンとした頭の中にしたいという気持ちがあったからなのです。
私の左脳では、いまだに自動演奏、自動思考が続いていますが、猛威を奮っているというほどではないのです。
自動思考を目の敵にするのは辞めたのですが、自動思考に対して意識的であったおかげで、瞑想の感触はかなり変化したようで。
それこそ思いもよらない副次効果があって、自分としてはそれなりに良かったと思います。でも、以下のoshoの言葉を知り、やっぱり自動思考はなんとかしたい。
『人は、内側の騒音を止めなければならない
外側の騒音はコントロールできない
また、それを止める必要もない
しかし、内側の騒音は止めることができる
そして、一度内側の騒音が止み、静寂が定まると
外側の騒音は問題にならなくなる
それを楽しみ、何の問題もなくその中で生きられるようになる』
気がついたら、左脳からの明確な抵抗は気付けなくなっていて、どれほど瞑想をしてもそれに対する抵抗を感じることがなくなったようです。
昨年は、反逆罪で訴えてやろうかなと思ったくらいやられまくってしまったことを考えると、少し進化したのかなとも。
それとも、自分と戦わないという姿勢というのか、受容しつつも少しずつエネルギーを小さくするという、ある種の大人の対応がいいのかもしれません。
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