私たち自我の内面のことを心、あるいはマインドと呼んでいるため、いかにもそういう何かが存在するように感じてしまいがちですね。
けれども、何かがあるわけではなくて、分離感からやってくる不安やおそれ、そして欠乏感などを何とかしようとする精神活動のプロセスこそが、心(マインド)なのです。
だから一時的であれ、その精神活動が休止するなら、そこにマインドはないということなのですね。でも休止することなんて、ほとんどないのです。
なぜなら、精神活動のプロセスのメインとなるのは、欲望だからです。欲望のない自我なんて自我では無くなってしまうから。
欲望によって日々駆り立てられて生活しているのですから、それがさらなる欲望の原動力となって、そのループは終わることがないのです。
ただし、瞑想を繰り返し生活の中に溶け込ませていくことで、幾分は欲望から離れていられる時間ができたりするのです。
その瞬間は、マインドの常である混乱もなく、過去や未来への堂々巡りのエネルギーロスも無くなって、ただ在ることだけが残っているのです。
その時に、ようやく何の理由もない満たされた感覚になれるのです。不思議ですね、満たそうとすれば決して満たされることはないのに。
その理由のない満たされた感を感じていることが、とても嬉しくて歓びにもなるのですから、自我の生活がいかに的外れなのか分かります。
とはいえ、自我の立場からすれば、一寸先の未来も見えず、過去へも戻ることもできず、世界と分離した個としての自分を守れるのは、自分しかいないと信じてしまっているのですから。
自我はいじらしいなと最近思うのですね。自我から解放されたいと願う一方で、自我の真実を忘れてしまうゲームを楽しむということもありなのかなと。
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