認識は全て幻想

仏教でいう「無常」について、また少し違う解釈をしてみたいと思います。何せ、偉い僧侶が無常を理解すれば悟りを得ることができると言っているので。

改めて、無情というのは時間の流れの中で変化しないものはない、というのがその意味であることは確かですね。

けれども、もう少し深く見ていくと不思議なことに気づくことができます。もしも、全く記憶というものがないと仮定してみます。

すると、例えば音楽を聴いているときに、好きなメロディを聴いてうっとりしたりする時、それは瞬間のことではないとわかります。

つまり、ある一定の時間の流れの中でしかメロディを認識することができないからです。メロディというのは、音の変化を指すからです。

一つ前の音の記憶がなければ、メロディは成立しなくなってしまいます。このことは音楽だけでなく、あらゆることについて同じことが言えるのです。

現実に起きていることというのは、このように全てがぶつ切りなはずです。見ることについても全く同じ。

目の残像があるからこそ、変化に気づくことができるのです。ということは、真実は変化という概念もないということになりますね。