現れを連続である必要がないと体感する

仏教では、苦しみの原因は「執着」だとされています。だからその執着は何に対して起きるかを見る必要があるのです。

それは、変わらないと思っているもの、コントロールできると思っているもの、そして自分のものと思っているものに対して起きるのです。

でも「無常」を本当に見るとどうなるか。当然のことながら、上記の三つのものがそもそも存在していないことに気づくだけではないのです。

そんなことは、論理的に考えてみれば誰にでも分かる当たり前のことです。本当に無常を見るとは、体感として執着の構造を見破ることなのかも。

それは、この世界(現れ)を「連続した物語」としてではなく、「瞬間ごとの発生と消滅」として見る訓練なんだろうなと。

これは大変なことかもしれません。非二元の話の中で、体験には物語を作る思考体験と、直接の体験があるということを言ってきました。

この直接の体験を徹底的に体感し続けることで、ようやく真に無常を知ることができ、その結果が自動的にやってくるのかなと。

不可能に思えるけど、映像の1フレームごとを不連続なものとして体感できるということ?いや、そういうことではないのかも。

むしろ、連続しているように感じていたものが、連続である必要がなくなるってことなのかもしれないですね。

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