昨年の大赤字のせいで確定申告が楽になった

今年も面倒な確定申告の時期を迎えました。友人が経費の細かなまとめをやってくれたので、私はかなり楽ができました。

それでも毎年ちょっと息を止めて頑張るという時間を費やしていたのですが、今年はこれまでにないくらい爆速で必要な書類を作成することができました。

あれ、凄く楽だったなあ、なんでだろう?と思って、気づいたのですが、昨年の6月あたりからセッション費用を自由意思に委ねることにしたのですね。

そのせいで、昨年の年収が劇的に減ってしまったのですが、そのおかげで年間の赤字が100万円くらいになってしまったのです。

ということで、どうにもこうにも税金を払うことにはならないと明確になったので、気を揉む必要がなくなったのですね。

人間はゲンキンなもので、そうなると瑣末な数字のちょっとした間違いがあったところで、どうでもいいかなと。

だから、ものすごく気が楽になって、あっという間に書類の作成を終えてしまったのです。とはいえ、この大赤字はなんとかしなければ。

皆さんにはご迷惑をおかけすることになりますが、近いうちに以前の料金体系に戻す必要がありそうです。

その時にはまた前もってお伝えすることになると思います。

間違ったものを買わないように、気をつけましょう!

普通のスーパーマーケットよりも、さらに安くものを売っている大型のスーパーがあるのです。事務所から歩いて行けるので、たまに行くのです。

その安売りスーパーの別の店舗が、事務所と自宅のまあまあ間くらいに新たにオープンしたので、クルマで行ってみたのです。

すると、新しいからというのもあるのですが、店内が見事に整頓されていて、通路が広々としていて気持ちがいいのです。

事務所近くの店舗は、いつも割と混雑している上に、通路が狭くて誰かが棚のものを見ているだけで、通れなくなるのです。

新店舗では、そういうことが全くないので、とても気持ちよくスムーズに店内を周れるのが嬉しいのですが、一つ心配なことが。

だいたい人気のスーパーなのでもっと混雑していてもいいはずなのに、店内はガラガラな感じがするのです。

駐車場も空いていて、これ大丈夫かな?と他人事なのに心配になってしまうのです。で、本題はここからなんですが。

ボディシャンプーとシャンプーのお得な詰め替え用を見つけて、ヨシと思って買って帰って家で確認したところ、シャンプーの代わりにコンディショナーを買ってきてしまったのです。

コンディショナーがどんなものかよく分からないし、きっと自分は使うことはないことだけは明らか。

まあいいかとも思ったのですが、これが2個分の詰め替え用ということで450円近くするものなので、どうしようかなと。

すぐに行けば、取り替えてくれるだろうけど、もう部屋着に着替えてしまったし、バーボンを飲もうと画策していたので、また出かけるエネルギーがない。

というわけで、無駄なものを買ってしまって、忘れるためにお酒の力を借りようという馬鹿馬鹿しいお話しでした。

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動画の内容に矛盾を感じたら…

一年ちょっと前からYouTube動画の配信を始めたのですが、時間も労力も最低限で続けている割には、少しずつ観ていただけるようになってきたのかなと。

それにつれて、YouTubeを観てルシッドのことを知ってセッションに来ました、というクライアントさんがちらほら現れ始めました。

動画の内容に関する質問もいただけるようになって、これは非常に助かっていますね。何よりも動画の話題にさせていただけるので。

こうしたことは思ってもみなかったことで、思い切ってやり始めて本当によかったなと思っています。

ただこれはどうなのかなと思うことが起きていて、それはブログの内容にも同様のことが言えることなのですが…。

実は、その時その時で私自身自分に正直にお伝えしているつもりなのですが、時を経て互いに矛盾する内容のことを話していたりすることに気づいたのです。

特に、非二元のことを話すようになってからは、それまでの二元の世界での話とは根本的に違ってしまったのです。

これは仕方のないことではあるのですが、だからと言ってそれ以前の動画が間違っているということでもないのです。

私の動画をご覧になって、何か矛盾を感じたり、惑わされてしまうようなことがあれば、遠慮なくご指摘して頂きたいと思うのです。

その際はできる限り、わかりやすく説明させてもらいたいと思っています。

「惨めさ」と向き合うことの難しさ

心の癒しにおいて中心となるのは、なんと言っても過去に溜め込んできた感情を解放するということです。

特に癒しの初期の段階では、感情と向き合うことがとても大切なことなのです。もちろんその程度は人それぞれですが。

時として、感情のロックが強過ぎて感情と向き合うことが難しい場合には、生き方や考え方を見直すなどのセッションを繰り返すこともあります。

怒りや悲しみなどの感情が出づらい理由の一つとして、その背後には二度と思い出したくない思いがある可能性があげられます。

例えば、幼い頃にどうしようもない状況の中で、死を覚悟せざるを得ないようなことがあると、当然のことそこに光を当てることは難しくなるのです。

感情を味わおうとすれば、そうした思いを芋蔓式に思い出してしまうことになるため、絶対にその感情の蓋を開けようとはしないのです。

死にたい衝動を起こす原動力は、シンプルに表現すれば「惨めさ」です。自分が惨めだという思いが強ければ、生きていくのが難しいと感じても不思議ではありません。

そうしたことも考慮しつつ、焦らず個人個人の状況に応じてじっくりと癒しを進めていくことがとても大切なのですね。

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生き方を見直すことの大切さ

心の癒しに携わっていて日々思うのは、継続的に必要なことは自分の生き方を変えていけるように努めるということです。

この生き方こそが、自分自身を表現していることだと思えたとしても、そこはできる限り潔く変えていくことが大切です。

なぜなら、人生の何かがうまく行っていないと感じるなら、その原因はたった一つ。それはその人の考え方、生き方こそ問題の根っこにあるものだからです。

それを悪く思う必要もないし、否定することでもないのです。なぜなら、その生き方は小さい頃に生きていくために自ら編み出した作戦だからです。

それがあったからこそ何とか無事に大人へと成長できたのですから。けれども、もうそれは不要になってしまっているのです。

不要どころか、大人になって子供の頃の生き方を継続していれば、必ずなんらかの問題が起きてきてしまうわけです。

例えば、我慢強いことがいいことだと思っているなら、それを改める必要があります。なぜなら、我慢を継続すれば人は心を病むことになるからです。

つまり、我慢弱くなることです。我慢弱ければ、我慢をすることが難しくなって、結果として深い傷を負わずに済むことになるのです。

このように、これまで自分が正しいと思い込んできたことを見直してみることは、癒しを進める上でとても大切なことなのですね。

質問への答えは絶対あるという間違い

私はずっと幼い頃から、質問があればそれに対する正解が必ずあると思っていましたね。誰も答えられないとしても。

つまり、正しい答えはどこかにあるのだけれど、それを誰も見つけられないということはあるかもしれないということです。

人間が思考で質問したことなので、それは思考によって答えられるはずだろうという感覚があったわけです。

誰も答えられなければ、全知全能の神という存在があれば間違いなく答えられると。けれども、そうではないということに気づきましたね。

非二元の中においては、どんな質問であれそこにはどんな意味もない、というよりも意味がないということすらないのだろうなと。

非二元が好きなのは、善悪もないし、正しさもないし、意味もないし、価値もないというところ。なぜなら、そうしたものは全て物語の中のものだから。

質問も物語の中にしかありません。非二元では物語もないのですけどね。 

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子供の自分と大人の自分

心の癒しというのは、ただ漫然と自分の傷ついた心を癒すということだけでなく、二つのことを明確にしておく必要があるのです。

それは、インナーチャイルドを癒していくということと、大人の自分を育てるということ。そしてこの二つは同時に進行していくのです。

なぜなら、人は誰でもインナーチャイルドと大人とが混ぜ合わさって人生を生きているからです。まずそのことに気づくことですね。

大人の自分だけで生きていると思っている人は、インナーチャイルドの存在に気づかなければなりません。

インナーチャイルドに意識を向けて、その存在を受け止めることを通して大人の自分が成長することができるのです。

なぜなら、インナーチャイルドを見るためにはそれとの距離が必要であり、子供の自分とは異なる大人の自分の存在が明確になるからです。

それと同時に、大人の自分にケアされることを継続されたインナーチャイルドは、不満な気持ちから満たされた安心感を得られるようになるのです。

そうやって、双方が程よい距離感を持ったまま、同時に癒しと成長を現実のものにしていくことができるわけですね。

仮想現実と非二元の違い

最も原始的な仮想現実というと、写真(画像)ということになるのかなと。そこに動きが加わると、テレビや映画(動画)になるわけです。

そして、最近ではほとんど実写と区別がつかないくらいのゲームもあるし、AIが作った画像や動画も出始めています。

よりダイレクトに没入感を感じられるように、ゴーグルを着用してみたり、さらに言えば視覚や聴覚だけでなく、触覚、味覚、嗅覚も感じられるようになってきました。

こうした進化の先には、もうこの現実を体験しているのと違いが分からないような仮想現実を体験できる日も近いのではないかと。

けれども、こうした仮想現実の世界では、どこまで進化したところでそれを体験する主体というものがあります。

それが自分ですね。自分だけはどこまで行ったところで、消えるわけにはいかないのです。そしてそれこそが、非二元との違いなのかなと。

非二元は、体験する主体とその対象のどちらもがないのです。そして体験だけが残るのです。ここが分かりにくいところなのでしょうね。

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物語として人生を達観する

自分は比較的気分屋な方だなと若い頃からずっと思ってきました。どこまで表に出せるかどうかは別として。

そしてその傾向は未だに続いているのですが、それでもほんの少しずつではあっても改善しつつあるような気もします。

以前だったら、この状態ではもっと気分を害していたはずだけど、それほど気にしなくなったなということが増えてきたかなと。

そして、それに比例して外へ出すのも少なくなってきた感じがします。これは、単に年齢を重ねてきたからなのか、それとも別の要因があるのか。

それは定かではありませんが、もしかしたら人生の物語性を忘れずにいられるようになってきたからかもしれないと。

そう、物語というのはあくまでも作り物という意味です。だから、リアルなものではないということ。

瞬間瞬間ごとにそのことを忘れずにいられたら理想的ですが、そうもいかないのが人間です。それでも、事柄のすぐ後に気づけるようになればいいなと。

非二元のようにすべてが幻想というところまで行かずとも、物語として人生を達観することができれば、深い深刻さや落ち込みに至る前に正気に戻ることもできるのだろうなと思います。

シンプルな人生を心がける

セラピストの仕事を始めてからずっと言い続けていることがあるのですが、それはシンプルに生きるということです。

具体的には、「言いたいことを言う、言いたくないことは言わない。」「行きたいところに行き、行きたくないところには行かない。」

「やりたいことをやり、やりたくないことはやらない。」「一緒にいたい人といて、一緒にいたくない人とはいない。」

「会いたい人に会い、会いたくない人には会わない。」これが、私が言うところのシンプルな人生なのです。

まさか、そんな都合のいいように生きていけるはずがないじゃないか、という声が聞こえそうですが、それが可能なのです。

ただし、それなりの痛みは伴いますよ。つまり、私たちは自己犠牲と一過性の安心を天秤にかけているのです。

自己犠牲と安心をトレードしつつ生活をしているということです。だから、本当はシンプルな人生を複雑怪奇にしてしまうのです。

様々な体験をするためには、人生が複雑な方が好都合ということもあるのかもしれませんが、私はもういらないなと。

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