非二元の探究を通して感じたことは、知っていること、分かっているものは一つもないということでした。
俗に言われる、「無知の知」というやつかもしれませんね。何も知らないということだけを知っているということ。
なぜそうなるのかというと、知るとか分かるというのは対象に対してのみ意味をなすことだからなのでしょうね。
普段の生活で、周囲に見えているもの全てが対象物ではないと気づくと、もうその時点で理解することはできないと気づくのです。
そして、対象物でなければ、それを見る主体としての自分も消えてしまうのです。そうなると、見えているものが自分自身であるという感覚にもなるのです。
表現を変えてみると、これまであった個人としての自分の身体が透明になったようになって、景色の中に溶けていく感じ。
「非」二元なので、そうなるのも頷けるのです。そして、これだけになった時に、時間も人生も消えていくことになりますね。

