「自分が今ここにいる」という感覚は、当たり前のように誰もが共通に持っているものだと言えますね。
その一方で、いろいろな解釈や記憶を使ってそのシンプルな感覚を複雑なものにしてしまっていることに気づいている人は少ないかもしれません。
つまり、元々あるのは「ただ在る」という非常に単純な感覚に過ぎないのですが、それを自我が横取りするのです。
そして、「このような自分がいる」のようにして、ただ在る感覚を「個人の自分がここにいる」のような脚色をするわけです。
そのうちには、知らぬまにその脚色された方の感覚ばかりが大きくなって、シンプルな「ただ在る」を忘れてしまうのです。
けれども、そのシンプルな感覚がなくなったわけではありません。心が静まってしまえば、そこにはオリジナルの「在る」の感覚に戻ることができるのです。
その感覚には、個人という自分の感覚は含まれていないのです。このことに気づく時、それこそが気づきそのものなのだと分かるのですね。

