裁くこと

日頃、日常的に「裁く」という言葉を使うことは少ないかもしれませんが、私たちは一日のうち意識的にも無意識的にも何度となく、誰かを、そして何かを裁きつつ暮らしています。

例えば、朝出かけるときに近所の人に挨拶したのに無視されたら、無礼な人だなと思うかもしれません。

通勤電車の中で大音量で音楽を聴いている若者がそばにいたら、常識のないやつだとイライラするかもしれません。

こうしたことはいくらでも身の回りで起きていることです。そして、このときに相手を裁いているのです。職場で仕事上のミスをして周りの同僚たちに迷惑をかけてしまったら、そんな自分をダメな人間だと思ってしまうかもしれません。

この場合は自分を裁いていると言えます。このように、裁くということは、あるものに対して善悪の判断を下すということですね。そして大抵は悪のレッテルを貼ることを意味します。

その対象となるものは様々です。個人であったり、団体であったり、国であったり、その言動や抽象的な概念だったりもするのです。

何かを裁くためには、善悪の判断をするための判断基準というものが必要です。その基準は個人によって違いがあるし、性別や人種によっても様々な差異があるかもしれません。

勿論、人類に共通の判断基準というものもあります。人を騙したり、裏切ったり、傷つけたり、奪ったりということはほぼ悪というレッテルを貼られますね。

その一方で、なぜ人はそうやって日常的に裁くことを続けるのかというと、そこには重大な目的があるのです。その目的とは、実は対象となるものに罪を与えて罪悪感を想起させることなのです。

罪があると認めてしまえば、必ず罪悪感が付きまといます。実はこの罪悪感がこの世界を作っているといっても過言ではありません。

つづく

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