仮面の告白

私たちは、自分が仮面を被っていると思うのではなくて、仮面そのものを自分自身だと思い込んでしまっていることにまず気づく必要があります。

この両者の違いはとてつもなく大きいです。この勘違いに気づかないからこそ、自分で仮面をはずすことができるというトンチンカンな思い込みをしてしまうのですね。

仮面自体が仮面をはずすなどということは不可能なことです。この私とは、仮面をかぶっている主体なんかではなくて、仮面そのものだったと認めることです。

もしも本当の自己が、仮面をかぶっていることに気づいて、その仮面を投げ捨てたとしたら、その仮面はどうなるでしょうか?

それは簡単です。脱ぎ捨てられた仮面は、そのまま地面に落ちたまま仮面のままであり続けるでしょう。

ただし、仮面を自分だと思い込むという一種の催眠状態からは脱してしまうことになるはずです。

つまり、催眠から解けた自己が、仮面の寿命が尽き果てるまではそれを観続けることになるということです。

本当の自己が仮面を脱ぐこと、これがいわゆる覚醒ってやつだと思えばいいのです。言葉で表現すれば、「私が」覚醒するのではなく、「私から」覚醒するということになります。

覚醒した後も、仮面はそのまま残ります。これが、覚醒した賢者の姿であるわけですね。催眠から解けるということは、仮面という姿はあるけれど、私という認識は消えるということです。

一体いつこの忌まわしい催眠から覚醒することになるのでしょうか?それは、仮面である私が考えるようなことではないということです。仮面に罪はありません、所詮仮面ですから。

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