自由を手に入れるためには?

「自由」という言葉の響きっていいですよね。誰もが束縛されるよりも、自由でいたいと願っているのは間違いのないことです。確実に、自由>不自由 なわけです。

それほどまでに、自由でありたいと願っていながらも、実際のところ人生って不自由だなあと感じている人が大勢いるのも事実なのです。

なんでそんなことになってしまうのでしょうか?その理由はいたって簡単、私たちの心というのは、自由を求めているにも関わらず、一方でその自由を恐れてもいるのです。

自由を恐れるとはどういうことでしょうか?もっとも分かりやすい事例をあげるとすると、学校で友達とうまくやっていくことができずに、イジメに合っていたりして一人孤立している子がいたとします。

その子にとっては、ある意味束縛されている授業中よりも、自由にしていられる休み時間の方が苦痛なのです。授業中は、誰もが授業に集中していなければならないので、孤立していることを意識せずに済みます。

その反面、自由でいられる休み時間ともなると、自分の身の置き場がなくてどうしていいか分からなくなってしまうのです。実際にイジメに合うのだって、そういう時がほとんどなのです。

もう一つ、例を示してみます。自分がまだ未熟だと思っているときに、全く何をしてもいいという自由を与えられるよりも、ある程度の指針を示してもらって、それに沿って学んで行く方が安心できますね。

つまり、これも自由よりもある種の方法や考え方、あるいはルールを与えられてその枠の中で生きていく方が安心できるということなのです。

現実的な話しとして、幼いころに作ってしまった自己防衛システムに乗っ取られて、自由な自己表現を抑えつつ生きている人は、決して自由であるとは感じていないはずなのです。

とても不自由な毎日を送っていると自覚しているのに、自由になるためにはとてつもなく大きな恐怖が立ちはだかっていると誤解しているために、自由を求めながらもいつまで不自由でいてしまうのです。

あなたはどのくらい、自由を強く求めているでしょうか?安心や安全ということと、自由でいられることをトレードしていませんか?もしもそうだとしたら、人生を台無しにしている可能性が大です。

そのことに気づいて、一刻も早く恐怖や不安、あるいは罪悪感といったネガティブな感情から逃げることなく、率先してそれを十分に感じようとすることです。

あなたが自己防衛をやめればやめるほど、その分だけ本当の自由を手にすることができるのですから。そうして手に入れた自由は、かけがえのないものとなるはずです。