私が小学生の頃、毎週見ていたテレビアニメに鉄腕アトムというのがありました。最近の若い人が知っているかどうかは定かではないですが、当時は誰もが知っているアニメ界のヒーローでした。
10万馬力の力を持つという触れ込みも、強いものに憧れる男の子には、とても魅力だったのだと思います。先日テレビを見ていたら、そのアトムという人造ロボットについて、作者の手塚治虫さんが次のように言っていたと放送していました。
「アトムはまだ不完全だ。なぜなら、彼は正しい心しか持っていないから。」主題歌の中にも、こころやさしい科学の子という部分があって、常に正義の味方なのですが、それは不完全だと言っているのですね。
完全さというものは、そこにあらゆる要素があってのことだということ、つまり全体性ということなのです。人間の心には、愛と恐怖の両方があるということです。
クライアントさんの中には、自分の心の中には邪悪な部分、どす黒い部分、醜い部分があって、そういう悪の部分を何とかして善へと変えていきたいと思っている人がいます。
理想となる自分の人物像をいつも掲げているわけですね。そうして、現実の自分とのギャップに思い悩み続けているのです。これって、何かおかしくないでしょうか?
人にウソを言ったり、相手を裏切ったり、恨んだり、憎んだり、嫉妬したり、無視したり、殺意を感じたり、こうしたことの言動力は単なる恐怖心なのです。
人間の思いや行動にはすべて理由があります。邪悪さというのは、単にそこに愛が欠落しているということに他なりません。アトムみたいな子がいたら、それは人間ではなくて人の形をした天使になってしまいます。
自分のすべてを受け止めることです。受け止められないと主張しているその思いも含めて、受け止めてあげればいいのです。自分のことも他人のことも、トータルで見る眼を養うことです。
恐怖で愛を包むことはできなくても、愛で恐怖を包み込んでしまうことはできるのです。それが、全体性(トータル)で見る眼なのです。