自我の消滅

osho の言葉に次のようなものがあります。

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あなたが長い間自分を見つめると、

いわゆる自我は消えてしまう。

それは惨めさからの本当の自由だろう。

愛は残るだろう-それは誰か他の人に向けたものでもなく、

自分に向けたものでもない。

愛は誰かに向けるものではない、

なぜならば、向ける対象はないからだ。

愛がそこにある時、何かに向けられていない時、大きな至福がある。

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瞑想するときに、単に無念無想になるのではなく、ひたすら自分を見つめてみるのです。そうすると、深いところで自我と触れ合う瞬間、とても居心地の悪い感じがします。

それは、自我が自分の正体がばれてしまうことを恐れるからです。自我の根っこをつかもうとすれば、それはするりと身をかわそうとします。

結局、自我の正体とは思考であるために、実体がないということに気づいてしまうということです。幻想を生かしておく唯一の方法とは、それをしっかり見ないでいるということに尽きるのです。

自我が消えるまでもなく、薄くなっていくだけで自我が抱え込んで決して見せようとしない自分の惨めさも、小さくなっていってしまうのです。

自我が消えてしまったとしても、愛はただそこに在り続けるのです。というより、雲が消え失せたときに自動的に青空が現れるのと同じように、自我が消えてしまえば瞬時に愛が顕われるということです。

その愛とは、対象物を持つこの世界の愛情のようなものではありません。愛は、一人称のことを言うのです。つまり、「不二」ということです。

それは、私たちが求めている幸福ではなく、永遠の至福のことでもあるのです。

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