「惨めさ」を正面から見る

セッションでもこのブログでも、今までに何度も繰り返しお伝えしてきていることですが、癒しにおけるキーワードは自分の「惨めさ」です。

それは、誰もが惨めな自分を心の奥に密かに隠し持っているからです。それと同時に、それは最も見たくない自分、決して認めたくない自分の姿でもあるのです。

だからこそ、その惨めな思いをひた隠しにしておいて、自分は決して惨めな奴なんかじゃないということを証明しようとして躍起になっているのが人生なのです。

その思いが強ければ強いほど、その努力と頑張りは涙ぐましいものになるのです。そして、残念なことにその目論見はいつか必ず失敗してしまいます。

なぜなら、心の奥に隠したものは何であろうと、現実の体験として遭遇することになるからです。つまり、自分の惨めさを思い知らされる事態が起きてくるということです。

そもそもなぜ誰もが惨めだという思いを持ってしまうのか?それは、自我の発生と共に自分がこの世界から分離したちっぽけな無力な存在だという思い込みが起きるからです。

そしてその時、誰よりも自分を守ってくれると信じていたい両親からも、残念ながら自分を守らねばならないということに気づいてしまうからです。

それがどれだけショックで、どれほど惨めなことか。私たちの大多数はそのことをすっかり忘れてしまっています。両親の想いと、子供の意志とはいつも異なるのです。

子供は、自分の思う通りに生きることが次第にできなくなっていき、そのことも自分の惨めさを更に積み重ねる結果となってしまうのです。

自分は惨めではないということの証明をしようとすれば、必ず過去と未来へと意識が向くようになってしまいます。それこそが、不幸の根源であることは昨日のブログでも書きました。

ずっと隠してきた「自分は惨めなやつ」という悲惨な思いと感情を正面から受け止めることです。逃げずに見ることができれば、それだけ投影されて現実となることも少なくなるのです。

「惨めさ」、それはただの思い込みであり、その大元となるこの世界からの分離というもう一つの思い込みと共に、それらが真実ではないということを理解する必要があるのです。

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