ただ見守るなら痛みの外に出る

もし、あなたが好き嫌いを抜きにして苦痛を見守ることができたら、それはそこにあるのに、不意にあなたはその外に出ている。

あなたはもうそのなかにいない。あなたは超然と、そこに立っている。無選択は、あらゆる種類の気分や、あらゆる種類の思考からあなたを解き放つ。

by osho

私は子供の頃から、身体の痛みについて考えることがありました。痛みって本当は何なのだろうかって…。もちろん、何の結論も出るわけではないのですが、自分にとって痛みから逃れる術を探していたのでしょうね。

外側に起きる不快なことからはある程度逃げることができるけれど、自分の身体に生じるあらゆる苦痛は、付いて回るものなので諦めるしかないというのが、嫌だったのだと思います。

せいぜい日頃から痛くならないように気をつけて生活するといった予防策があるだけで、痛くなってしまったら自分ではもうどうしようもない。

けれども方法はあったのですね。というよりも、痛みを直接和らげるのではなくて、痛みを感じている自分から距離を置くことができればいいということ。痛がっている自分を見守るということ。

痛みは物語の中にいる自分に対してあるのです。物語から抜けてしまえば、気分の悪さも苦しみもすべては、ただ見守る対象になってしまうということです。

意識的である=ただ見守ることができるなら、あらゆるものはただそこにあるだけになるのですね。

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