私を見るということ

5W1H ってありますよね。what, when, where, who, why, how というものですが、これらがあればどんな疑問文でも作れるわけです。

私自身を探究しようとするときには、What(Who) am I? となりますが、When am I? と Where am I? は意味をなしません。

なぜなら、時空は本質的な何かではないと直感的に理解できるからです。無理やり答えるなら、When am I? に対しては、「now」 になるし、Where am I? に対しては、「here」が答えです。

そして真実に目を向けようとするときに気をつけなければいけないのは why ではないかと思うのです。

なぜか?という疑問はどのように回答しようと、真理から離れた思考の中へと入っていかざるを得ないからです。

エゴは「なぜ?」が好きですし、科学の進歩にしても、この「なぜ?」が原動力となって進化してきたわけですが、真理については「なぜ?」は通用しないのです。

真理はただそうであるようにそうだからです。マインドがどれほど疑問を感じようが、矛盾を発見しようが真理はおかまいなしです。

最後に残ったHow am I? は使えそうな気がしますね。私とはどのようなものなの?私とはどうなっているの?といった探究は必要だからです。

それで結局、真理の探究としてできることは、それを見るということ、私を見ること、私を調べること以外にはないのですね。

ということで、今日もせっせと私を見ることにします。

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