観照者に焦点を合わせる

体験されることはすべてみな幻なのだと覚えていればいい。体験する者のみが真実なのだ。

観照者に注意を払いなさい。体験にではなく、その観照者に焦点を合わせなさい。

たとえどんなに素晴らしくても、いっさいの体験はみな夢もどきにすぎない。ひとはそれらをすべて乗り越えて行かなくてはならないのだ。

by osho

意識的であるとは、最終的には観照者に焦点を合わせる、意識が意識に意識を向けるということなのです。

こうしたことは、どれほど研究を積んでも思考には理解することができないことです。

体験という現実は、究極的にはイマジネーションに似たものです。現れては消える、それが真実とは異なる特徴なのです。

意識である観照者とは、あらゆる現実の背景として在るのです。それこそが私たちの本質なのです。

背景は何でもないもの、あれとかこれとか言えない永遠のものです。ここに意識を向けていると、そこはかとない至福感がやってきてくれますね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です