「したい」には2種類ある

私たちは何かをする時、概ね2つの理由からするのです。1つは純粋にしたいからするという場合、もう1つはするべきだからするという場合です。

単にしたいからするというのはとてもシンプルですね。無邪気な子供たちはこのしたいからするで行動している場合が多いです。

ところが大人になると、諸事情によってそうもなかなか行かなくなるのです。仕事なんてイヤイヤやっている場合も多いのではないでしょうか?

それが2つ目の場合です。するべきというのは、お金を稼がなければならないからとか、他人から否定されたくないからとかいった理由が考えられます。

つまりは自己防衛からするということです。したいからするという一つ目の場合のちょうど真反対なのです。

けれどもこの2つの場合の違いが明確になっているのであればまだいいのですが、2つ目を1つ目と錯覚してしまうことが多いのです。

要するに、防衛からしていることなのに本人はそのことに気づかずに、自分はそうしたいからしているのだと勘違いしているのです。

たとえば、あるボランティア活動に興味があって、それをしたくて始めたのであれば、それは一つ目の場合に該当します。

ところがしばらくすると、そのボランティア活動をしている自分が価値があるのだと思うようになったとしたら、その活動はもう防衛でしかないのです。

本人はそのことに気づかずに、それをしたいのでしていると思い込み続けるのです。こうなると防衛の裏で必ずや自己犠牲が発生することになるのです。

自分は好きなことをやっているのだという錯覚によって、自己犠牲をドンドン重ねてしまうなら、鬱々とした毎日がやってくることになるかもしれません。

やりたいからやっていると思っていることでも、本当にそうなのかじっくり見つめてみる必要があるということですね。