当事者意識はいらない

これが自分だと思っている自分、つまりそれが自我なのですが、その自我というのはいつも自分の人生の当事者だと思い込んでいるのです。

あらゆる体験にはそれを体験する当事者としての自分がいると思ってもいるし、選択や決意についてもそれをする当事者としての自分がいると信じています。

だからこその罪悪感だったり、あるいは手柄感がやってきたりするわけです。ただし、ときには激しい防衛によって無意識的に当事者ではないような顔をする人もいます。

罪から逃れたくて、失敗した惨めな自分から逃れたくて、それはまるでお笑いのネタのようにして、誰かのせいにしたりするのです。

が、それはあくまでも防衛からくる無意識のなせる技ですね。一方で、癒しを進めていくと不思議なことに当事者意識が薄れてくるのです。

自我は自分がやったことだと言い張ってはいるものの、癒しと共に自我との距離ができてくることによって、まるで人ごとのように感じ出すということです。

そうなると、罪悪感は小さくなってしまうし、手柄もなくなってしまいますが、一番都合がいいのは否定される恐れも小さくなってくれるのです。

当事者意識が薄れてくると、何が起きても飄々とした風情を醸し出すようになるかもしれません。いつもどこかで人ごとのように感じているからですね。

意識的に生きれるようになると、この当事者意識から離れていくようになるのです。その気楽さは格別ですね。