自我は今を満足できない

自分のことを自我だと思い込んでいる人にとって、最も喜びに溢れる時というのは、もうすぐ願いが叶うという瞬間なのです。

望んでいたことが実現してしまった時というのは、もうすでに喜びのピークは過ぎた後だということを、子供の頃に知っていました。

たとえば、子供の頃週末になるとボーリングに連れて行って貰うことを凄く楽しみにしていました。

その頃はスコアを手書きでつけるのが普通でしたので、ボーリング場に行き、実際にボーリングを始める前に、そのスコアシートをもらってくるのです。

私の記憶では、そのシートを受付でもらってきたときが一番嬉しくて、その興奮が少しずつさめた辺りで実際にボールを投げる感じでした。

年頃になって、大好きな人とデートできることになった前日の夜、興奮は最高潮に達するんですね。

不思議なことですが、実際のデート中よりも喜びのピークは高いのです。デートが楽しくないわけでは決してないのですが…。

いいやそんなことはない、宝くじがあったたらその瞬間が一番嬉しいはずだからと言う人がいるかもしれません。

けれども、その場合も宝くじが当たって嬉しいのは、そのお金で好きなものを買えるからなのです。

つまりは宝くじが当たった喜びというのは、この後何でも好きなものが手に入るという直前のワクワクした喜びなのです。

このことから分かることは、自我というのは近未来を予知して喜ぶものだということです。それが実現してしまえばピークは過ぎて、また別のものを探し出すのです。

自我は今手に入っているもので満足することはできないのです。もうまもなく手に入るだろう未来を見ているときにだけ、喜びを感じる生き物なのですね。

結局今この瞬間には実在しないものへの「期待感」を頼りに生きている不思議な生き物、それが自我だということです。

簡単に言えば、自我は今この瞬間がどうであれそれに満ち足りるということができないのですね。