目的地はここ

日本には様々な「◯◯道」というのがありますね。柔道とか、剣道とか、合気道、武道、花道、茶道等々。

で、道というくらいですからどこかへ向かって進んでいくというのが共通している根っこにあるものです。

道はエンドレスに続いていく場合もあれば、目的地がある場合もあるのですが、いずれにしてもその道に沿って進んでいくためのものです。

何となく進んでいく先には、何か期待できるものが待っていてくれている、素晴らしい目的地があるような気がしてしまいます。

ところが仏陀は、進んでいくべき道などないと言っているのです。あるのは「ここ」だけだと言うわけです。

この真っ向から異なる主張をどう捉えたらいいのでしょうか?私が思うにどちらも当然間違っているわけではありません。

道があるかのようにして進んでいく必要があるのは、私たちが自我と同一化してしまっているためなのです。

どの道であれ、その終着点はどこか知らないところではなく、「ここ」なのです。ここ以外にはどこもないのだということを仏陀は言いたいのでしょう。

目指すべき目的地が本当になくなったとき、身を持ってそのことを知ることになるのでしょうね。