社会に左右されない生き方

自我そのものが元々社会的な存在なのかは定かではありませんが、少なくとも今この世界で繁栄している私たちは社会的であると言えます。

社会というのはみんなで共通の認識を共有することで成り立っています。それが一人では不可能なことを可能にするわけです。

文明の発達や科学の進歩もすべては認識の共有、約束事、申し合わせのような類があるからここまでやってこれたわけです。

一万円札を見ると、その辺に散らかっている紙っぺらとは違う印象を共有しているからこそ、紙幣経済が成り立つのです。

日本の紙幣を見たこともない国で一万円札を見せても、誰も気にも留めないで捨ててしまうかもしれません。

社会はみんなの約束事があって機能するのですが、それがいい方に使われれば発展になるし、悪い方に使われるとパンデミックが起きたりするのです。

この武漢風邪に対する恐怖症は正に後者のケースですね。みんなで恐怖を共有してしまったがために、非常に厄介な状態が引き起こされてしまいました。

社会の一員のフリをして社会の中にいながら、社会に染まらないように生きること。社会が好調な時も逆に危機の時もブレずにいられるといいなと思います。