ゆったりと自然であれ

自分の人生を顧みて、そこに闘いの要素があるのであれば、少しずつでもそれをやめていくように気をつけることです。

闘いの人生がどれほど馬鹿げたものなのか、そこを理解することで自然とそれは少なくなっていくでしょう。

人生そのものと闘っている場合、社会と闘っている場合、人との闘い、あるいは自分自身との闘いの場合もあるでしょう。

いずれにしても、闘えば必ず敗者となってしまうことに気づくことです。闘っている人は、いつも深刻さを持ち歩いています。

そして最も大切な、「ゆったりと自然である」ことができないのです。闘っている人は、その人のマインドの中でも闘いが起きているのです。

闘って防衛しようとする部分と、闘いなどには興味がない部分とに分裂してしまっているからです。

闘いの人生が悪いと言っているのではありません。それは単に愚かなだけです。そこからは何も生まれないし、どんな気づきも起きないからです。

それでも闘いをやめられないのです。それは防衛としての働きがあるからですね。闘わず、白旗をあげて、観念するときに、ようやく「ゆったりと自然である」自分に戻れるのですね。

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