残された人生で向き合う唯一のこと

私たちのような自意識を持った生物である人間にとって、最も受け入れ難いこととは、「私」という個人はいないということです。

もちろんそんなことは考えたこともないし、聞いたこともないという人が今でも大多数であることは想像できます。

けれども、情報が溢れかえる現代において、誰だってきっと一度や二度どこかでそれらしき事柄を聞いたことがあるはずなのです。

その時にどんな反応をするのかが、人によって全く違ってくるのです。私の場合はどうだったかというと、一瞬にして何か救われた感じがしたような記憶があります。

それは直感的に、自分が体験するあらゆる苦しみというのは、外側にその原因があるのではなくて、自分自身が内包しているものだろうと感じていたからです。

そしてそれは単なる情報としてやってきただけではなく、ある種の体験としてやってきたのです。長続きはしませんでしたが…。

今では人生の多くの時間を自我として生きている一方で、それがイメージに過ぎないことを見抜いている本質側からの感覚もあるのです。

「私」はいない、自我はイメージに過ぎないと理解することでしか、本当に救われることはないのです。

それをより深く体得していくことだけが残された人生で向き合っていく唯一のことなのだと思うようになりましたね。

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