自己防衛を忘れるとき

20数年前のことですが、東京狭山市の入間基地に戻ろうとしていた自衛隊の練習用ジェット機が墜落した事件がありました。

操縦していた二人は、相当地位の高いベテランのパイロットだったのですが、脱出を試みたにも関わらず助からなかったのです。

事故を詳細に調査した結果分かったことは、二人はもっと高度の高いところで脱出することもできたのに、わざと遅らせたらしいのです。

なぜなら、その墜落現場周辺は入間川の河川敷近くで、家屋や学校が密集している地域だったのだそうです。

そこで墜落させるわけにはいかないと思って、自分達が助からないことを覚悟の上で高圧線にぶつかるような超低空で河川敷に接近したらしいのです。

ジェット機を墜落させても大丈夫なところまで操縦した上で、ほんの少しの可能性に賭けたということですね。

つまりは、自分達の命よりも周辺住民の命を守ることを優先したわけです。どれほど訓練していたとしても、本当にそんな犠牲的行動を取れるのか?

私は人間とは本来そういう生き物であるように感じています。追い詰められた究極の状態では、自分の本質である愛が発動するのだと。

普段の自己防衛を忘れてしまうとき、その時こそ真の自分のエネルギー、つまりは愛が発動するように、私たちは作られているということですね。