生死を超えた自己

私たちは、一瞬一瞬やってくる身体からのあらゆる情報を受け取り続けています。気持ちよさだったり、不快な感覚だったり。

それがどんなものであれ、その情報とは無縁の部分があるということに気づいているでしょうか?

身体からの情報はあくまでも身体のものであって、そこに影響を受けない部分があるのですが、それこそが本当の自分なのです。

私は以前瞑想をしていて、瞑想が深くなっていくに連れてえも言われぬ感覚がやってきた時に、覚醒とはこの先にあるものだと勝手に思い込んでいたのです。

ところがそんなものは、覚醒とは何の関わりもないものだと気づいてからは、そういった身体からの特殊な感覚に重きを置くことは無くなりました。

身体からの情報、感覚とは別にマインドからの情報というのもあります。気持ちだったり、気分だったり。

そういったものもまた、気持ちよさや気分の良さがとても価値のあるものであって、その先に覚醒が待っていると誤解していたのです。

今や身体やマインドからやってくるどんなものも、覚醒とは無縁だと気づいたのです。この認識があってからは、心身がそれほど重要ではなくなったのです。

そのどちらでもない不動のもの、全く変化したことがないもの、それが意識であり、それこそが真の自己なのですね。

覚醒とはそれ以外は全て幻想だと気づくことなのではないかと。それを見抜くことによって、純粋で形のない、生死を超えた自己に気づくのでしょうね。

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