信念も自信もいらない

まだ大人になりきれてない、でもそれほど子供でもないという中途半端だった高校生の頃、自分てどんな奴何だろうとよく思っていました。

一番記憶に残っているのは、優柔不断なところ。政治のことや学生運動なんかにあまり関心がなかったのです。

それでも、そういうことに詳しい友人の話しを聞くと、ああなるほどと感心するのですが、それと全く違う意見を聞いても、それも確かになあとなるのです。

結局誰の意見を聞いても何だかそれが正しいような気持ちになるので、自分の意見がコロコロ変わる優柔不断な人間だなと思ったのです。

若い頃はそんな自分のことをあまり良くは思っていなかったのですが、最近はそんなこともどうでもよくなってきたのです。

もっと言えば、自分独自の意見などなくてもよくない?と思えるようになったのです。信念とは遠いところで生きている。

それと若い頃は絶対に必要だと思い込んでいた自信についても、今は自信があろうとなかろうと、そんなことはどうでもいい。

自信とは無縁の毎日を生きています。信念とか自信というのは、社会の中では役立つものかもしれませんが、使わない生活の方が快適なんだと気付いたのですね。

“信念も自信もいらない” への2件の返信

  1. 私もそう思います。そうなりたいと言うか…。
    社会から開放される休日の朝に、うれしいメッセージをありがとうございます。

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